アクセスカウンタ

本郷 炭団坂から気ままに発信

プロフィール

ブログ名
本郷 炭団坂から気ままに発信
ブログ紹介
文京区を中心に東京を自転車でポタリング
あとは適当…

東京を自転車で散歩する。
毎回違う顔を見せる、この東京、わが街を
あるときはゆっくりと、あるときは駆け抜ける。

日記 食い物 独り言  
zoom RSS

ブラタドン 根津

2010/04/24 15:33
ミクシーの日記は書いていたのですが、こっちは放置のままでした。

最近我が家に家族が増えました。
柴犬の炭団(タドン)です。
今日は愛犬タドンを連れて根津神社へお散歩していました。

東大農学部のわき道(一里塚あと)からS坂へ
画像


根津神社のつつじも早咲きは満開です。
画像


ぷらぷらと散歩しておりました。
画像


たい焼きを買ってお散歩終了。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5


1年以上更新していなかった(汗) 胡桃の部屋

2008/05/22 21:25
先日日本映画専門チャンネルを見たら向田邦子ドラマ「胡桃の部屋」をやっていました。
http://www.nihon-eiga.com/prog/001179_001.html
1982年の作です。 出演 小林桂樹/久我美子/いしだあゆみ/永島敏行
父の家出によって平穏だった一家が綻んでゆく過程を描いた向田邦子の自伝的色彩の濃い一作。演出は、NHKドラマ「あ・うん」他向田ドラマを多く手がける深町幸男。出演は「蛇蠍のごとく」の小林桂樹、「父の詫び状」の杉浦直樹。製薬会社に勤めていた父・研造(小林)が3ヶ月前に失踪し残された家族は長女の桃子(いしだ)が中心となって支えていた。ある時、父のかつての部下・都築(杉浦直樹)から、父が小料理屋のママ(吉村実子)と同棲していると告げられるが…。
画像


今月は向田邦子のホームドラマ特集らしいです。

うわさでは聞いていたのですがこの家族の家のロケ地がwwwww
画像

永島敏行がこの門を開けて炭団坂を上がっていきました。
26年前はちゃんとした門だったんだw

私も父・研造のように失踪したいw

菊坂下道を描いた娘のマンガですw↓
画像




記事へ面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 1


ポタポタ目白(4月7日)

2007/04/11 00:48
桜も終わりそうですので神田川をポタリングです。
桜吹雪の神田川でした。
川にも花びらが流れております。

そうだ野間道場にも桜があったと講談社野間道場へ。


野間道場は講談社を創設した野間清治氏によって大正14年(1925年)10月に神田明神わきにあった道場を移築してはじまり、2度の増築を経て5間×16間という、現在の規模の道場になりました。
宮中の済寧館・東大の七徳堂と共に戦災で焼け残った都内の数少ない道場であり、剣道史に欠くことのできない著名な道場なんだそうです。
この間は藤沢周平原作、山田洋二監督の映画「武士の一分」に主演の木村拓哉も武道の精神を学ぶためにここで修行したとか。
たしかに雰囲気のある道場です。

来年五月、取り壊しになるそうです。
講談社は去年も歴史的建造物である旧三井邸であった講談社別館を取り壊したし、いったい何を考えていることやら・・
あれも良い洋館でした。
野間道場保存運動も起こっているようですがどうなることやら。
保存運動の署名はしてきました。

中から庭を撮ってみました。
画像

外から見るとこんな感じです。
画像

このガラス窓は大正時代のガラスですのでゆがんだガラスで良い感じです。

中では剣士が片づけをしておりました。
うーん かっこいいです。
画像

画像


本家目白をポタポタしていると佐藤春夫邸発見
東京カテドラルの裏あたりです。
以下説明
画像

全体です。表札はやはり佐藤さんでした。
画像


そのまま東京カテドラルへ。

東京カテドラルの牧師さんの家もパチリ
画像

ルルドの泉です。
明治時代に作られたために、コンクリート製なのに風雨にさらされて本物の岩のようになっています。
歴史って偉大です。
画像


和敬塾にもゲリラ的に入ってみました(汗)
関係者以外立ち入り禁止です。
ここは村上春樹の「ノルウェイの森」の舞台です。
画像

庭側から見た旧細川邸です。
華族様の典型的洋館です。
画像


目白通り沿いに旧田中角栄邸を越えて富士見坂へ
今ではもう富士山の稜線がちょこっと見えるだけだそうです。
さすがに今日は何も見えません。
画像


学習院を越えて近衛町に
道の真ん中に銀杏かな?
周りの景色とあいまって雰囲気があります。
画像

もともとは近衛家の庭の中にあった木だったそうです。
こんなの見つけました↓
http://blog.so-net.ne.jp/chinchiko/2004-12-07

教会もすぐそばの場所です。
画像


でかい家があるなと思って路地に入ると舟橋聖一邸発見。
ほほう さすがな家です。
写真は撮りませんでした。

路地を出てまっすぐ行くと日立目白クラブにぶつかります。
画像


右に折れるとおとめ山公園です。
画像


プラプラした後に元の道に戻り、目白通りを越えて目白庭園に行ってみました。
画像

桜が綺麗です。

裏に廻って徳川黎明会に
画像

画像

徳川さんも今は不動産業
画像


西武線の踏切を越えて自由学園
画像


周りは良い雰囲気の古い家もありますが、なんかどうでもいいミニ戸の大群もあってなんだかなー

路地をポタポタしながら神田川に戻り、桜の花びらを食いながら桜の木の下をひた走っておりました。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 3


自転車で桜まみれ(3月31日)

2007/04/10 19:15
朝から近場の桜の名所をうろうろ
東大の安田講堂の前の枝垂桜
画像

東大病院の桜
画像

講安寺の枝垂桜
画像

右京山の桜
画像


と見てからインドポタへ

千鳥ヶ淵のインド大使館で年に一度この時期に中庭でカレーを食べることができます。
これが美味しいのです。
去年行ったのですが、なかなか面白かったので今年も参加です。

自転車仲間と四谷駅に集合してから自転車から降りて歩きで花見です。
土手沿いをプラプラと飯田橋まで歩いてみました。
混んでいますが千鳥ヶ淵ほどではありません。
画像


飯田橋から右折して靖国神社からインド大使館へ

カレーを食べまくっていましたがそのために写真はありません。
女性陣はへナアート、インド民族衣装のコスプレに挑戦していました。
画像


画像


画像
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


東海道を往く

2007/03/05 23:47
日曜日に旧東海道をポタリングしてみました。

高輪大木戸跡は自転車で走って通過してしまった。
江戸への入口だったそうです。

京急北品川駅に集合して品川宿、鈴ヶ森処刑場、神奈川宿と旧東海道をポタりながら横浜の中華街へ向かいます。

品川宿は目黒川を挟んだ南北の品川宿と享保7年(1722年)に出来た歩行新宿(北品川))との3つがあります。
15号線から一歩裏道に行くともうそこは旧東海道です。
雰囲気が残っています。
朝から団子屋も開いている。
品川区が東海道の観光に力を入れています。
街道沿いを石畳風にしたりとそれらしい雰囲気に工事しちゃっています。

画像

画像

品川宿の問答河岸です。
三代将軍家光と沢庵和尚の問答が行われた場所だとか。
そもさん せっぱ とか言ったのかどうか。
「大軍を率いているのに将軍とはこれいかに。」
「・・・」
将軍はなんて答えたのか書いてありません。
書いておいてほしいな。

東海道は海沿いにあり、左側は元海。
ああ ここも海だったのだなーと思いつつポタ。
ちょっと脇にそれて鯨塚に行ってみました。
画像

説明はこれです↓
画像

公園には鯨があります。
子供心に帰って変な集団が・・・
画像

本陣跡やら新撰組が泊まった宿屋、高杉晋作が会議をした土蔵相模など見所がいっぱいです。
詳しくはこちらが詳しいです。
画像


品川宿から鈴ヶ森に向かう途中の立会川でこんな立て札を見つけました。
画像

拡大すると
画像

この間行った板橋宿でもそうでしたが、昔は宿場はずれの野っぱらで罪人の処刑が行われており、場所が定まってはいませんでした。実際に処刑場の場所が定まったのはだいぶ後になってからのようです。
このへんのことは明治大学の地下にある刑事博物館に詳しいことが書いてあります。
鈴ヶ森の資料も置いてありました。
そのまま鈴ヶ森までポタリング。
確かに宿場はずれです。
ちょうど15号に東海道がぶつかるところにあります。
画像

説明はこれです↓
画像

しばらく15号を走って神奈川宿へ。
神奈川新町付近で京急沿いに神奈川歴史の道なんてのがあります。
道沿いがその部分だけ石畳風になっているので解りやすい道です。
以下写真だけ(汗)
画像

画像

画像

画像

画像

品川宿も神奈川宿もさすがに街道沿いにはお寺が多いです。

もうここは横浜です。
お腹も空いてちょうど12時。
中華街に繰り出して補給食。
山下公園、赤レンガとポタポタしてから、東京まで帰ってきました。

ちょうど行って帰って70キロくらいかな。
サイクルコンピューターを帰ってきてからリセットしてしまったので正確な距離がわかりません。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


本郷もかねやすまでは江戸のうち

2007/02/24 22:24
本日は江戸処払いポタと本郷文学散歩ポタを決行しました。
総勢14名(途中参加退出含む)

「本郷もかねやすまでは江戸のうち」
江戸時代、罪人が市中引き回しのうえ獄門打ち首になると、本郷も引き回しルートとなりますが、軽い罪の者が江戸処払いになるとき、中仙道からの処払いの場所でもあります。
実際の場所は菊坂入り口付近かもしれません。
ここに昔は加賀屋敷(現東大)から小川が流れており、少しへこんだ場所になっていて、両側が坂で橋がかかっていたそうです。
本郷三丁目の交差点から江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれました。

ここから旧中山道を罪人の気持ちになってポタってみますw
本郷三丁目交差点兼安(かねやす)から出発し本郷追分から左に折れて白山通りに向かい、しばらく白山通りを走ってから巣鴨から巣鴨地蔵通りに入ります。
地蔵通り商店街は混んでいます。
4のつく日は縁日の日です。
しかも土曜日と言うことで朝10時の段階でこういう状態です。
高齢者の皆さん朝が早いです。
画像

地蔵通り商店街は中仙道の本来の道です。
道沿いにお寺が多いことがわかります。
庚申塚からまっすぐ行くと板橋駅に出ます。
『江戸には3つの御仕置場があり、東海道の「鈴ヶ森処刑場」、奥州、陸羽街道の「小塚原処刑場」、中山道の「板橋処刑場」と、いずれも江戸に入る街道の要所に処刑場がつくられていた。要所の街道沿いに処刑場をつくったのは、みせしめの効果を狙ったものである。処刑場では磔,火あぶり、獄門などの御仕置がおこなわれていた。当初、板橋処刑場は鈴ヶ森処刑場や小塚原処刑場のように処刑場として決められた場所があったわけではなく、宿場からはずれた街道沿いの空き地を転々とし、処刑していたことが多かった。しかし、のちに現在の豊島区西巣鴨3丁目辺りに首切りの獄門台がつくられた』
のだそうです。
立正大学そばの交番の場所が処刑場跡だとのことです。

板橋駅前の寿徳寺の境外墓地に「近藤勇の墓」があります。
真言宗豊山派寿徳寺の境外墓地となっている場所に、元新撰組の二番隊長の長倉新八が作ったもので、墓の中央には「近藤勇宜昌、土方歳三義豊之墓」と書かれています。
隣には長倉新八の大きい墓が建っています。
しかし三鷹市 竜源寺にも近藤勇の墓があり、うーん どっちが本当なのだ(笑)
画像

お墓修復工事中でした。

中山道最初の宿場町ですから本陣跡やらがありそうですが、跡だけです。
本陣一軒、脇本陣三軒、旅籠屋五十四軒ありました。
良い感じの銭湯も残っています。
商店街沿いに走ると加賀藩屋敷跡。
ぐるっと廻ると公園があちこちにあり、全てが加賀藩屋敷跡の残りです。
観明寺山門も加賀藩屋敷内の通用門で赤門を呼ばれていました。
東大の赤門と同じですね。
板橋区の名前の由来の板橋に。
石神井川にかかっていた木の橋だったそうです。
いまはコンクリート製ですがそれっぽい作りにしてありました。
春は桜が綺麗だろうな。
画像


しばらく行くと縁切り榎です。
榎はもうありませんでしたが、榎の皮を煎じて別れたい相手に飲ませると縁が切れたとか。
ああ 恐ろしい。
皇女和宮が将軍家に嫁いだ1861年(文久元年)、皇室の威信をかけた行列3万人はこの縁きり榎をさけて中仙道を通ったそうです。
しかもこのとき縁切り榎木は根元からすべてこもですっぽり隠されたそうです。
画像


その後本郷に戻り文学散歩食い倒れポタを行いました。
巣鴨で肉まん→ケーキ→大和郷から本郷通りへ→育文館高校の路地から漱石猫の家→鴎外の家→旧安田邸→高村光雲光太郎の家→宮本百合子の家→スズキのメンチ→夕焼けだんだん→10円饅頭→菊見せんべい→蛇道→根津教会→井泉のカツサンド→神田明神→天埜屋の甘酒→おりがみ会館→給水所公園横を通って→忠也坂→楠木→弓町本郷教会→石川啄木旧居跡→ふるさと歴史館→坪内逍遥、正岡子規旧居跡→金田一京助旧居跡→宮沢賢治旧居跡→樋口一葉の井戸→伊勢屋質店→路地巡り震災後に作られた昭和の家並み→菊坂コロッケ→徳田秋声旧居跡→尾崎紅葉、二葉亭四迷旧居跡→求道館→本郷舘→東大→本郷中央教会→かねやす

以上で終了です。
寒かったです。
皆さんお疲れ様でした。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


ぴったし50キロ

2007/02/17 22:37
夕方から雨が降るらしいので近場をポタ。

本郷→谷中→扇大橋→荒川左岸河口へ行ってみました。
途中北千住でポタポタして槍かけ団子を買い食いしました。
左岸を行くと葛西臨海公園に着いてしまうのですが、中川と荒川の合流地点の中州の部分に行った事がなかったので真ん中をどんづまりまで走ってみました。
画像



曇り空です。

川の右・左は、水の流れていく方向、つまり下流にむかって、右岸・左岸というよびかたをします。
昔、上流に住む人たちは、くらしにひつような品物が、下流の町から舟で運ばれてくるのを、川を見つめてまちわびたそうです。
そのようなことから、川下にむかって右岸、左岸とよばれるようになったという説もあります。

荒川を少し戻り右岸に渡り大島小松川公園から新大橋通り、丸八通り、亀戸水神、蔵前通りを通り、亀戸天神へ向かいます。
湯島天神は混んでいますが、ここは空いていました。
梅が綺麗です。
画像


画像


画像


船橋屋で葛餅食べて帰ってきました。
船橋屋の看板は吉川英治の書だそうです。
画像


春日通をまっすぐ走って帰ってきました。
ぴったし50キロでした。
ポタにはちょうど良い距離かな。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


関宿城

2007/02/12 19:59
画像
江戸川を遡り関宿城まで行ってみました。
昨日は荒川、芝川、今日は江戸川、利根川と江戸時代の水運業をめぐったことになります。
川ってのは重要な交通機関だったわけですね。

葛飾柴又の寅さん記念館の屋上庭園に集合です。
ここは江戸川サイクリングロード沿いにあります。
暖かで昨日と打って変わって風のない良い天気です。
画像

男だけで集合w
江戸川を遡ります。
画像

菜の花も咲いています。
画像

途中野田でキッコウマンの工場を外から眺めました。
この工場は江戸川沿いにあります。
画像

この近代的な工場の隣に時代劇に出てきそうな立派な日本家屋があります。
この日本家屋は御用蔵です。
なんでも現在も宮内庁に醤油を納める工場で内部は見学不可だそうです。
昭和14年築の蔵は、国産原料を使い伝統製法で醤油の醸造が行なわれているそうです。
この醤油使ってみたいです。
野田は戦国時代に醤油造りが始まりました。
江戸食文化の浸透と江戸川水運の発達で関西の下り醤油を圧倒し、1864(元治1)年、幕府によって「最上醤油」の称号を与えられると、関東の濃口醤油は全盛を迎えます。
大正6年、現在のキッコーマンへとつながる「野田醤油株式会社」が設立されました。
画像

画像


さらに江戸川を遡り関宿城到着です。
見て解るとおり利根川と江戸川の分岐点にあります。
水運の中心地だったわけですね。
画像

画像

怪しい自転車集団がたむろしております。

関宿まで本郷から行って帰って130キロでした。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


芝川サイクリングロード

2007/02/11 22:46
良い天気なんで行ったことのない芝川サイクリングロードを走ってみました。
しかし風が強いです。
まっすぐ普通の道を行けばよかったのに、荒川沿いに行ってしまいました。
岩淵水門10時集合に遅れました・・・orz

少し戻って鹿浜橋から向こう岸にわたります。
荒川を少し遡ると足立区都市農業公園があります。
ここが芝川と荒川の分岐点です。
この公園は茅葺の古民家があったりしてすごいです。
ちょうど茅葺を新しくしている最中でした。
画像

以下古民家の説明です。
画像

しばし休憩してから出発です。
この公園から見る富士山がきれいです。
画像

地図を見るとこのサイクリングロード途中で切れています。
うーん どこまでいけるのか・・・
まあ行けるところまで行ってみましょうということで・・・
画像

芝川サイクリングロードは途中で道に交差しても信号の無いところが多く、迂回路もややこしいというかひどいです。
画像

上の写真はきれいですがしばらく行くと誰だいったいこのサイクリングロードを設計したのはと怒りたくなる道が続きます。
まったく自転車のことをわかっていない人間が設計したのではないかと思われます。
スピードを出すわけにはいかないのでのんびりポタに徹して川口工場地帯の雰囲気を楽しみながら走ります。
キューポラのある街もキューポラが殆どなくなってしまいました。
古い工場もマンションに変わりつつあります。
それでも時々鋳物工場のあの独特の匂いがします。
ああ川口です。
ほっとするなー。
低湿地帯をひた走ります。
さいたま市に入り浦和の辺まできました。
と突然、水神社で舗装路がなくなりました・・・orz
画像

画像

ほうほう 江戸時代は重要な水路だったんですね。

しかしこの先は未舗装なんてもんじゃーない砂利道です。
行けるのか・・・
まあ 行けるところまで行きますかということで。
武蔵野線が見えます。
画像

画像

途中不法投棄されているごみも散乱しております。
そのためなのかパンクしてしまう人も出てしまいました。
パンク修理しましたが、タイヤがざっくりやられており、タイヤ交換もしないとまたパンクしそうです。
サイクリングロードはここまでにして、浦和美園も近いし巨大ショッピングセンターがあるからそこでタイヤを買いに行くことにしようと予定変更です。
大崎クリーンセンターから国道に出て大門北から浦和美園、埼玉スタジアムに向かいます。

イーオンでかい!

荒涼とした風景の中にイーオンと埼玉スタジアムがドーン!
すごいです。
中ではあいにく23Cのタイヤは置いてありませんでした。
あんなにでかいのにママチャリだけなのか。
お腹も空いたしお食事をすることに。
混んでいます。
イーオンの周りの風景は殺風景なのに駐車場はいっぱい中は人がいっぱいです。
これが郊外型店舗なんでしょうね。

タイヤをあきらめて裏道から122号に抜け途中をショートカットして芝川にぶつかってから、サイクリングロードに戻りました。
都市農業公園にある休憩所でまったりしてから戻ってきました。
しかし今日は風が強くまいりました。
風さえなければ温かかったのに・・・

今日は埼玉スタジアムまで危ない車道を走らなくてすむ道を発見できました。
こういうのも自転車の楽しみの一つです。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


曙ハウス再び and 旧安田邸見学

2007/02/10 19:45
思いっきり久々のアップです(汗)

去年の今頃だったでしょうか。
「スウハ曙」が壊されました。
根津の象徴的な古い建物が、消えてしまったのです。
ところがどっこい、あの伝説的な「スウハ曙」のプレートが生き残っており、masaさんのおかげで「文京ふるさと歴史館」に収蔵されました。
以下masaさんところからコピペです。

明日10日から、そのプレートが、曙ハウスの解体後はじめて、我々の前に姿を現わすことになりました。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/event/index.html

企画展「文京・まち再発見2 近代建築 街角の造形デザイン」
会場:文京ふるさと歴史館 文京区本郷4-9-29
会期:2007年2月10日(土)〜3月18日(日)
時間:10:00〜17:00 月曜日休館

この企画展と連携するように、愛らしい建物で知られる根津教会で、建物写真展が開催されます。こちらにも曙ハウスの画や写真が展示されます。

「まちかどの近代建築写真展 in 根津」
会場:日本基督教団根津教会 文京区根津1-19-6
会期:2月10日(土)〜2月17日(土)
時間:10:00〜17:00(最終日は15:00まで)

ということで行ってまいりました。

まずは超ご近所の文京ふるさと歴史館です。
入口を入るとすぐに「スウハ曙」のプレートがどーんと置いてあります。
意外とでかい。
うーん 展示会の目玉ですね。
久々に見ましたというか文字がちゃんとしている(笑)
たしか曙ハウスにくっついていた時には文字の一部が斜めになっていた気がします。
画像


地下で企画展示しているものも懐かしい代物ばかりです。
去年壊されてしまった講談社別館の三井邸の写真と構造物遺品もありました。
画像

今度は講談社は野間道場を壊しちゃうそうですから、もう講談社に文化を語る資格はまったくありません。
あほな出版社です。

次は旧安田邸見学です。
某コミュニティで安田邸見学オフが開かれるという情報が載っておりましたので便乗しようと千駄木の駅へ向かいます。
時間があったので天外天で中華でも食べようかと思ったのですが、つい隣の毛沢東の看板の中華屋に入ってしまった(笑)
ここの坦々麺美味しいです。

千駄木駅でオフ会メンバーと合流して旧安田邸へ向かいます。
説明がめんどくさいので写真です。
画像


安田邸は隣が高村光雲宅でその隣が高村光太郎宅、その隣が宮本百合子宅でした。
残っているのは安田邸だけです。
画像

中ではボランティアによる修復が進んでいます。
一般公開まであとわずかです。
3/3には安田家のお雛様が展示公開されるそうです。
説明を聞きながら中を案内してもらいました。
広いです。すごいです。あの時代にお湯が集中給湯です。
画像

台所もガラスの天窓から差し込む光と現代で一番人気のI型キッチンです(笑)
お茶の間があちこちにあります。
画像

画像

画像

隣の旧高村光雲宅の庭が見えました。
画像

ボランティアの皆さんが修復中でしたが、品物をくるんでいた新聞紙を発見。
なんと昭和11年の朝日新聞です。
画像

外に出て庭を散策です。
画像

画像

豪邸を出て根津神社をしばし散策後、根津教会で建物写真を見学してきました。
画像
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


ひやひや幽霊ポタ

2006/08/16 18:54
お盆ですので、お盆にふさわしいポタをしてきました。

谷中全生庵で幽霊画鑑賞、四谷の四谷怪談の於岩稲荷田宮神社、大手町将門首塚、都内幽霊坂めぐりでもしようかと…

調べたら幽霊坂が10箇所ありました。
コースしだいで全部廻れそうです。
千代田区3箇所、文京区2箇所、新宿区2箇所、港区2箇所、北区1箇所 でした。

江戸の鬼門、谷中はパティシェイナムラショウゾウに集合
まずはケーキで朝食。

自転車で出発です。
全生庵に移動し幽霊画鑑賞しました。
ご近所の奥様方と遭遇するハプニングがあり赤面です。
なんたってこっちはジャージ軍団(汗)
圓山応挙のおゆきさんや、広重の幽霊画なんぞもあります。
ちょっと背筋寒くなります。
画像

いつものように路地を抜け谷中銀座でスズキのメンチを買い食い、夕焼けだんだんで猫と戯れました。
画像

谷中六阿弥陀道を通り抜けて田端の幽霊坂です。
北区田端1-25と30の間です。
与楽寺の脇を北東に上る坂です。
上のほうに登っていくと昼なお暗くいかにも幽霊が出そうです。
画像

不忍通りを通って目白台まで走りました。
昭和女子大の西側横の幽霊坂です。
文京区目白台2丁目
別名「遊霊坂」ゆるい坂です。
昔はこの坂の西側に本住寺があったようです。
画像
画像

すぐそばの目白台1丁目和啓塾の脇にも幽霊坂があります。
ここは両側が塀になっており、かなり急な坂です。
昼でもかなり暗い場所です。

このあとすぐそばの高田にある都内でもっとも急な坂と言われる「のぞき坂」に行きヒルクライム。
写真撮るのを忘れましたが、ここは急な坂です。
女性陣は途中で上るのをあきらめました。

神田川を渡り、都電早稲田駅を通過してから右折して外苑東通りを進みます。
お盆で車が少ないためすいすい進めます。
画像
画像

外苑東通りから東に上る石段の幽霊坂です。
正式名称は「宝竜寺坂」
昔この北側に宝竜寺があったそうですが、現存していません。

新宿区荒木町を通過したので、スリバチ地形の荒木町ポタをしたあと、左門町のお岩稲荷に向かいます。

四谷怪談のお岩稲荷は元祖争いをした2箇所があります。しかも真向かいにあるのです。
鶴屋南北の四谷怪談で儲けようとしたのは両方ではないかと思いますので、どちらが元祖だろうがどうでも良い話です。
画像
画像

まずは左門町17の於岩稲荷田宮神社に行きました。
モデルになった四谷田宮家のお岩は怨霊とは関係なく、傾きかけた家を盛り上げた立派な婦人であったという。その恩恵にあずかろうとして田宮家の屋敷社を近隣の人々が参拝するようになったのが、於岩稲荷田宮神社の縁起です。
鶴屋南北は、実在のお岩とは関係なく、江戸で有名な神社の名前だけを借りて四谷怪談を創作したとなっていますが、時代をみると四谷怪談のほうがこの神社が出来たのより古かったりするのでどうも真相はわかりません。 
歌舞伎などで四谷怪談を演じる時には、祟りを恐れてお岩稲荷にお詣りをするのが通例になっています。
寄進の石なんかを見ても歌舞伎役者いっぱいです。
ちょっと不気味な話ですが、怪談の芝居はトリックのために複雑な仕掛けを使い、照明も暗かったので怪我をすることも多かったためというのが本当のようです。
画像

お岩の井戸なんてのもありました。
画像

続けてすぐ前の於岩稲荷霊神・陽運寺に行きました。
こっちにも井戸がある。
うーん 井戸は番町更屋敷ではないだろうか。

若葉町の谷地を下り、くらやみ坂を見た後に鮫ヶ橋から四谷方向に走り、さらに若宮町に向かいます。
画像
画像

新宿区若宮町の幽霊坂です。
外堀通りから若宮八幡に向けて北西に上る東京理科大横の坂です。
正式名称「庚嶺坂」別名「行人坂」「祐念坂」「唯念坂」「祐玄坂」「若宮坂」

飯田橋から富士見町の幽霊坂 に向かいます。
画像
画像

千代田区富士見一丁目、二丁目あたりには、幽霊坂と呼ばれた坂が点在しています。ビルやマンションが建ち並ぶ現在の姿からは想像できませんが、江戸時代にはかなりうら淋しい地域だったのでしょうか。勇励坂との別名もあったようです。
うーん角川本社は幽霊坂に囲まれている。
さすが角川です(笑)
千代田区富士見1-12と2-13の間です。

御茶ノ水に向かいます。
画像

途中ニコライ堂によりながら、日立製作所本社前へ。
画像
画像

日立製作所の南側が幽霊坂です。
別名「紅梅坂」「甲賀坂」「光感寺坂」「埃坂」
以前は紅梅坂と一体になっていたのですが、大正13年の区画整理で本郷通りが出来たために分断されたそうです。

夕方になってきて雨が降りそうです。
大手町の将門首塚 に向かいます。
画像
画像

幽霊ポタにふさわしく怪しい雲と風が首塚で吹き荒れます。
各幽霊坂で幽霊を背負い、だんだんと自転車が重たくなりました。
将門に幽霊を返して、解散です。
港区にある2箇所の幽霊坂は時間がなく今回はパスです。
全ての幽霊坂を廻ったときには何かが起こるかもしれません。

ちなみに後2箇所の場所は下記の通りです。

港区三田4-11と4-12の間から4-6と4-7の間までの幽霊坂。
桜田通りからのぼり聖坂と交差して終わる坂です。
別名「有礼坂」明治時代に文部大臣森有礼が住んでいたという説もあり。

港区赤坂8丁目と9丁目の間にある幽霊坂。
正式名称「乃木坂」
以前は正式に幽霊坂と呼ばれていました。
乃木大将が殉死して、乃木坂と改名されました。
もし改名されなかったら地下鉄の駅名も幽霊坂になっていたかも。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


圓朝まつり

2006/08/11 00:27
画像
8月11日は江戸落語中興の祖である三遊亭圓朝師匠の命日です。
前はこの日に「圓朝忌」として行なわれていた法要が、今は「圓朝まつり」となり、先日8月5日に墓所のある谷中・全生庵で開かれました。

画像
芸人屋台、奉納落語会ともりだくさん、落語家さんもいっぱいでした。
圓朝コレクションの幽霊画もこの時期にしか見ることが出来ません。
丸山応挙の幽霊「お雪さん」も見ることが出来ます。
幽霊画は今月いっぱい見ることが出来ます。
300円です。

画像
暑いので芋甚のかき氷で休憩してから奉納落語会へ。

楽しみにしていた柳家喬太郎師匠の錦の舞衣(まいぎぬ)
聞かせていただきました。
錦の袈裟ではありませんw(これは落語オタしかわからない)
錦の舞衣は圓朝作でしかも谷中、根津が舞台。
実際にやると数時間かかる話を1時間にまとめたのですが、数時間聞きたかったです。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 6


暗闇坂(文京区)

2006/06/18 13:34
画像
久々にアップします。
地元の暗闇坂を出さなくては次にすすめない(笑)
なかなか写真を撮りにいけなかった。
東大弥生門の前の坂です。
明るくて暗闇坂って雰囲気があまり無いですが、撮ったところより手前だとうっそうとした森があるから、その辺だと暗闇の雰囲気があるかもしれません。
江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。
 江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもある。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5


文の京

2006/05/28 00:43
文京区本郷と言えば文人の街として有名なわけですが、坪内逍遥と樋口一葉のエピソードを書いてみる。

 司馬遼太郎の「街道をゆく」によると
「本郷3丁目から西に入り、真砂小学校のそばをさらに西へゆき、路地を西に通りぬけて、北に向かう閑静な道路に出た。区立真砂図書館があり、その前をすぎてわずかに北にすすむと、左側が『春のや』である。それ以上すすめば台地は炭団坂でもってふかく落ち込んでいる。
 崖の上の家は、いまは、『日立本郷ビル』という、セピア色の化粧レンガで外装されたあかるい建造物になっていた。
この界隈の静かさはかわらない。」
「逍遙にとっても日本文学にとってもこの家での3年間は重要であった。明治17年に入居して、その翌年に、近代文学の理論書ともいうべき『小説神髄』を書き、さらにその理論の実例ともいうべき『当世書生気質』を書いた。
 ついで、訪ねてきた二葉亭四迷(1864〜1909)に対し、言文一致の小説を書くようにすすめ、四迷がそのとおりにして『浮き雲』が世に出た。この家は、明治の近代文学の揺りかごだったといっていい。」
 この逍遥の旧居跡から50メートルで樋口一葉旧居跡があるのだが、井上ひさしによると
「一葉は日本文学史上最後の文語による作家であった。」明治になり、和文や漢文が人々の日常から殆ど消え去ろうとしているときに「和文が消滅する寸前に、それまでに現れた和文のすべてを総括した文体を創り出した。」としている。

 と言うことは、この場所は和文の消滅の地であると同時にと現代文の発祥の地という日本の文学史上、文章の回転軸になる場所だったということになる。
 まさに文の京と言えるのだが、文京区は文の京らしい文化政策をとっていないのが残念です。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


暗闇坂(港区)

2006/05/14 23:10
画像
またもや暗闇坂ですが今度は港区のほう。
麻布十番温泉のそばです。
登ってオーストリア大使館。

くらやみ坂の上にある武家屋敷にて、あるとき、屋敷の内の土二三間が間くづれて、下のがけへ落ちたり。そのあとより、石の唐櫃出たり。人を葬りし石槨なるべし、中に矢の根のくさりつきたるもの、されたる骨などありしを、また脇へうずめける。そののち、その傍に井戸のありしけるそばにて、下女二人行水をしたりしに、何の事もなく、二人とも気を失ひ倒れ居たるを、皆々参りて介抱して、心つきたり。両人ながら気を失いしは、いかなる事ぞといひければ、私ども両人にて、湯をあみをり候へば、柳の木の陰より、色白くきれいなる男、装束してあゆみ来たり候ふ。恐ろしく存じ候ひて、人を呼び申さんと存じ候ふばかりにて、後は覚え候はず、と、口をそろへて言ひけり。その後、主人の祖母七十有余の老女ありけるが、屋敷の隅にて草を摘まんとて出で行きて見えず。御ばば様の見え候はぬ、と騒ぎて尋ねければ、蔵の後ろに倒れて死し居りける。そのほか怪しき事ありしかば、祈祷などいろいろして、近頃はさる事も無きやらん、沙汰なし。確かなる物語なり。

実話だとある。おお怖…

23区に暗闇坂は12箇所あります。
新宿区2箇所文京区2箇所港区1箇所は見つけたが、後はいったいどこなんだろう。

温泉に入ると帰りが疲れるので中止。
浪花屋でたい焼き食べようと思ったら、店工事中。
仮店舗に行ってきましたが、まだ2時半なのにたい焼きは4時になるとのこと。
すごいなこりゃ。
あきらめてポタポタ。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


闇坂(くらやみざか)

2006/05/08 18:59
画像
これは新宿区の闇坂。
画像

暗闇坂や暗坂や闇坂は、文京区にも港区にもあります。
新宿区のは行ったことないと思ってポタ。
と思ったら新宿区は暗闇坂(くらやみざか)は近くにもう一箇所あって通ったのに撮るの忘れた。

四谷から東宮御所から若葉町から荒木町と谷地ポタしました。
荒木町なんてもろに江戸時代の池の跡ですり鉢状になっている土地でした。
これはかなりポタとしては面白い。
アースダイビングしちゃいました。

若葉町周辺は明治時代の東京三大スラムのひとつである鮫ヶ橋があったところです。
資本主義の発達がもたらす徹底的な弱者の切り捨ての中、スラムが形成されました。
ここのスラムはもう跡形もなくなりました。
地形と近くに防衛庁があることが面影といえば面影です。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/Samegabashi/Tky030122.htm
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


目白坂

2006/05/03 10:46
画像

江戸川橋公園の入り口から椿山荘に向かう坂です。
昔、この坂には押し屋というか坂を登る荷車の後を押して駄賃を頂くのを生業にしている人達がいたそうである。

坂の右側に神社仏閣がつづき、その昔この関口台には目白不動尊が祀られ、たいそうな賑わいだったそうです。
今は豊島区の金乗寺に遷され祀られています。
JRの目白駅のために目白というとあっちのほうを思い浮かべますが、本当の目白はここです。

以下標識↓

西方清戸(清瀬市内)から練馬経由で江戸川橋北詰にぬける道筋を「清戸道」といった。主として農作物を運ぶ清戸道は目白台地の背を通り、このあたりから音羽谷の底地へ急傾斜で下るようになる。
 この坂の南面に、元和4年(1618)大和長谷寺の能化秀算僧正再建による新長谷寺があり本尊を目白不動尊と称した。
 そもそも三代将軍家光が特に「目白」の号を授けたことに由来するとある。坂名はこれによって名付けられた。『御府内備考』には「目白不動の脇なれば名とす」とある。
 かつては江戸時代「時の鐘」の寺として寛永寺の鐘とともに庶民に親しまれた寺も、明治とともに衰微し、不動尊は豊島区金乗院にまつられている。
  目白台の空を真北に渡る雁
     稀に見る雁の四・五十羽かも
                窪田空穂(1877-1967)
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


根津神社

2006/04/26 19:50
画像
先週の土曜日ですが谷根千ポタポタ。
根津神社のつつじはまだ満開ではありませんでしたが、満開でないほうがきれいかもしれません。
花の勢いがあります。
午前中からすごい人です。
画像
なぜに入場料200円を取るのかというのが実に疑問です。
戦後周りに住む住民が植えたつつじが成長して、いつのまにか観光名所となったものです。
つつじ苑が生まれた歴史から言っても取るべきではないと考えます。
期間中は入場料以外で十分に儲かっているはず。

酒かす饅頭、甘酒、お茶をいただきました。
甘酒300円はもう観光ぼったくり金額ですが、あまり甘くなく、しつこくないので、饅頭の甘さとあってちょうど良かったです。

その後路地めぐり、谷中銀座でスズキのメンチ、ペルシャのピザ?を食べ、猫を見ながらぼけーっと夕焼けだんだんでまったり(笑)
三崎坂の喫茶「乱歩」でお茶、千駄木の屋敷森を見て、急階段を自転車担ぎをしたりとポタしてから帰ってきました。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2


御殿坂

2006/04/17 23:34
画像
小石川植物園沿いの坂です。
小石川植物園を自転車で一周しましたが、けっこう広い。
これはちょうどよいコースです。
御殿坂の説明は下記の通りです。
画像
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


朝倉彫塑館

2006/04/16 23:39
画像
ここは庭も日本間もなかなか良いです。
台東区立朝倉彫塑館は、 日本近代彫刻の大家・朝倉文夫氏のアトリエ兼住居です。
画像
家の中もかっこいい。これは書斎です。
画像

画像
庭も渋いです。中庭に池と石を配置しており、縁側でのんびりと庭を眺めていると時間がたつのを忘れます。
画像
日本間もゆったりと作られています。
2階の日本間がかっこよかったのですが、写真撮影禁止でした。
なぜなんだろう。下の階は大丈夫だったのに不思議です。
画像
ここは猫屋敷でもあります。
画像
屋上には畑があります。オリーブの木までありました。
画像

画像
屋上から見た庭の全景と谷中の墓地です。
すぐそばに幸田露伴の住居跡があります。
幸田露伴の住居から右に折れると朝倉彫塑館の裏門に出ます。
前に谷中の墓地沿いに歩いていたところ、幸田露伴住居をまわって裏門まで来たことがあります。
この門はなんだろうとそのときは思ったものです。
ずいぶん立派な家だという認識しかありませんでした。
記事へブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 5


続きを見る

トップへ

月別リンク

本郷 炭団坂から気ままに発信/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる